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8:28 新庄市郊外、舟形町の「若あゆ温泉」にクルマをデポ。
前夜おそくに着いたので、迂闊にも起きるのが遅くなり、ノンビリしていたら出発が完全に遅くなってしまった。
前夜に買ったコンビニ弁当をお茶で流し込み出発。
・・・(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T) |
8:34
温泉から坂を下り、広域農道を左折、舟形の市街地へ出る。
ここから国道13号線・羽州街道を南下していく。 |
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8:42
JR奥羽本線の舟形駅。
奥羽本線は、山形新幹線を走らせるために、福島駅から新庄駅までは新幹線の線路幅に合わせてあり、在来線もすべて標準軌になっている。 |
8:43
舟形駅は現在は無人駅になっている。
写真の建物にも「舟形町観光物産センター」と表札が読める・・・にしても、「舟形駅」という表示がドコにもないんですけど。 |
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8:48
駅からほど近い場所にあった「Yショップ本陣商店」でカメラ用の電池を購入。店名の謂われを聞くと、やはり近世には羽州街道の本陣がおかれていたということらしい。 |
8:53 猿羽根(さばね)トンネルの手前を左に折れて国道と分かれ、猿羽根峠をめざす。猿羽根山の鳥居をくぐると峠道が始まるが、道自体は大したことはなかった。左手の鳥居のある道が旧道。
・・・旧道とは言っても、山形県の初代県令・三島通庸が明治天皇の東北行幸に合わせて明治10年に開削した道であり、芭蕉の歩いた旧羽州街道とは別の道であること、また当時は「猿羽根新道」と呼ばれていたこと、などを知ったのは、この旅から帰って後のことであった。 残念。。。
国土交通省山形河川国道事務所「U−zen」より |
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8:57
舟形町歴史民俗資料館
舟形町内の失われつつある古文書や民具・民俗資料などを広く収集・整理・保存・展示して、文化財保護思想の普及発展を図るため昭和56年に建設された施設です。
建物は長沢集落にあった古い農家を移設したもので、昔の当地方の農家の作りや部屋の間取りをそのまま復元したものです。
さらに、管理棟内には、平成4年に西ノ前遺跡より発掘された「日本最大、縄文時代の八頭身美人土偶」高さ45pのレプリカが展示されております。ぜひご来館下さい。(HPより) |
8:59 旧街道の猿羽根地蔵堂は、この先の時間が読めないために割愛したが、一度願えば二度叶う♪と唄われることをアトで知り、寄ればヨカッタと後悔した。 |
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9:01
明治に開削された旧道「猿羽根新道」のピーク付近からの眺め。 |
9:01
舗装が途切れる辺りにクルマが駐車できる広いスペースがあった。ここから先の「猿羽根新道」は未舗装となり、轍が狭くなる。
オマケに「道路欠所に付通行止尾花沢市」とゲートがあった。 |
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9:07
通行止とは言いながらも、綺麗に整備された素晴らしい道。秋田市仁別のサイクリングロードのほうが余程ヒドイかも知れない。 |
9:08
「道路欠所」とは、これのこと・・・・?
通行止め表示も何もなかった、岩手県の林道のほうが、はるかにヒドイ。 |
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9:11
無事に尾花沢市側へ降りてきた。
歴史ある道であり、わずか10分で抜けられるのなら、せめて歩行者やバイクには開放してもらいたいところだ。 |
9:13
尾花沢市側では、大きな道路工事の最中だった。この区間には自動車専用のバイパスがあるのに、さらに工事を進めるあたり、さすが山形県だ。 |
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9:34
国道に合流した後は、名木沢集落を過ぎ、芦沢集落の先で国道と別れて左へ折れる。 |
9:48
地図を見ると、「荻袋」集落から、川の手前の道を左折して行くことになっていたが、それらしい道もないまま、丹生川橋を渡ってしまった。
それほど大きな遠回りでもないため、そのまま尾花沢市街へ向かう。 |
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9:54
尾花沢市街に入る。
国道347号線(母袋街道)を、そのまま左へ進む。 |
9:55
尾花沢市は佐渡嶽部屋 琴ノ若関の出身地である。
地元のスーパー「おーばん」の社屋が後援会事務所になっているらしく、社屋の壁一面に大きなパネルが掛かっていた。 |
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9:59
ここで母袋街道と別れ、看板にしたがって県道28号線、いよいよ山刀伐峠を目指していく。
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10:18
西正厳橋で丹生川を再び渡り、正厳集落へ入る。
しばらくは田園地帯を走るが、前方の山々が雲に霞んでいるのが気になる。お天気は大丈夫だろうか。 |
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10:22
押切集落。右へ曲がると「銀山温泉」とある。
古く16世紀に銀鉱が発見され、江戸時代には公儀山として栄えた銀山。現在は木造三層四層の旅館が軒を並べる温泉街として注目を集めている。風格のある落ち着いた町並みには見どころも多く、四季を通じて人々が訪れる。
・・・しんしんと雪の降るときに、いちど行ってみたいなぁ。
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10:32
高橋集落は、翁山の麓にある。小さな集落だが小学校があった。ホームページを見に行くと、明治9年開校で、児童数は昭和35年の460人をピークに減少し、現在は48名。
だんだん両側に山が迫ってくる。立派な構えの蔵は、歴史を感じさせる。 |
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10:45
赤井川を渡り、市野々集落のゴミステーションに、山刀伐峠の名を発見。峠の入口まで、もう間もなく。
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11:03
県道(赤倉街道)の新道と旧道が分かれる地点に駐車場があり、山刀伐峠入口の標柱があった。
いよいよ山刀伐峠の登りにさしかかる。 |
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11:05
ここから山刀伐峠のピークを経て、峠の反対側(最上町)へ至るまで、旧街道を利用した遊歩道が整備されている。
現在は、道が整備され登りやすくなっているので、「おくのほそ道」に描かれている登坂の場面が誇張されたものと思われがちだが、峠越えの道が改修され一般道として利用されはじめたのは嘉永4年(1851年)以降のことであり、それまでは、土地の人が山稼ぎに利用する程度で、獣道に近いものだった。従って、急勾配の山腹を笹や雑木に捕まりながら行われた峠越えは難儀を極むものだったろうと思われる。 |
11:09
峠へ向かう旧道はクルマがやっと擦れ違える幅しかないが、両側に林が広がり雰囲気も良く、自転車にとっては、この上なく走りやすい。
山刀伐峠の名称は、尾花沢側がなだらかで、最上町側が切り立っている山容が、山稼ぎで使用した「山刀伐」という被り物に似ていることに由来するといわれる。
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11:45
旧道の山刀伐峠に到着。峠の上には駐車場とトイレがあるが、木々が生い茂り眺望はきかない。
古えの峠は遊歩道を歩いてしばらく登ったところ、東屋と記念碑があるという。ちょうど雨上がりで道がぬかるんでおり、SPDシューズを履いていたので遠慮しておいた。ちょうど12時になったので、コンロで湯を沸かして昼食にする。
峠で作るカップ麺、峠で飲む1杯のコーヒーのために、わざわざコンロを持参するσ(^^ )って・・・?? |
12:49
ゆうに一時間を超える大休止を終えて峠を下る。緩やかだった尾花沢市側に比べて、赤倉温泉へ下る最上町側は勾配もあり、カーブもきつい。中型以上のバスは通行できないことになっている。 |
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12:50 峠を越えた最上町側は二十七曲りと称される狭く急なつづら折りだ。ブレーキを操りながら、慎重に下っていく。
先ほどの登りでは、両側に林が広がっていたのに対し、今度は片側が完全に、切り立った崖のようになっている。急勾配をいかにして緩めるか、県道開削当時の労苦が偲ばれる。 |
12:57
山刀伐峠を最上町側まで降りてきたところに、森林管理局が建てた立派な看板があった。 |
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12:59
最上町側の山刀伐トンネル前で赤倉街道と合流する。山刀伐峠まで1.8kmとあるが、下りであるだけに、もっと短く感じた。 |
13:06
山形・赤倉温泉。 開湯貞観5年(863)と歴史は古く、馬が川湯で傷を治しているのを見た慈覚大師が、錫杖で掘ってみたところ、温泉が湧きだしたと伝えられています。 |
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13:15
道は快調に赤倉温泉、万騎の原と進み、国道・JR線とぶつかるT字路まで降りてきた。せっかくなので右へ折れて、芭蕉が宿泊したという境田集落の封人の家を目指すことにする。 |
13:19
ここから境田を過ぎて宮城県境まで、延々とゆるい登り坂が続く。おまけに霧雨も降ってきた。ゴーグルに水滴が貼り付いて前が見えない。スグ脇を轟音とともに大型トラックが走り抜けていく中を、何度も何度も立ち止まり、ゴーグルの水滴を拭った。
途中、新庄行きの陸羽東線下り列車と面会。 |
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13:46
境田、封人の家へ到着。 「封人の家」とは国境を守る役人の家のことで、仙台領と境を接する新庄領境田村の庄屋の家、つまりこの旧有路家住宅であったといわれている。
芭蕉はここで「蚤虱馬の尿する枕元」の句を詠んだ。 |
14:05
封人の家からの戻りは、小国川の流れとともに下り基調で足取りも軽く、快適なサイクリングが楽しめた。JR赤倉温泉駅、 |
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14:47
ログハウス風の無人駅、JR大堀駅。 |
14:58
鵜杉〜瀬見温泉の間、小国側が迫ってきたあたりに、何やら吊り橋の付いたアウトドア施設(キャンプ場?)があった。川の駅 『ヤナ茶屋もがみ』 |
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15:00
その先で道路は落石防止のガードの下を潜る。 |
15:01
綺麗な滝・・・渓流釣りのメッカ、小国川------。 奥羽山脈の山間をぬって、国道47号に寄り添うように流れるこの川には、水しぶきをあげて流れ落ちる滝があります。
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15:05
JR瀬見温泉駅を通過。
名のとおった温泉でも、駅前は寂しい。 |
15:08
瀬見温泉の旅館街。
瀬見温泉には、義経・弁慶に関する伝説が数多く残っています。 室町時代に書かれたとされる、義経一代記「義経記」によると、兄源頼朝の追っ手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年(一一八七)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数かずの伝説、旧跡が残されています。 |
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15:21
国道と別れ、旧道を長沢方面へ走る。
ゴールはもうすぐ。 |
15:49
「直立する鮎」の像が見えた。若あゆ温泉が見えてきた。 |
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17:05
温泉の帰り、前々から行きたかった新庄駅前「急行食堂」に立ち寄ることにした。
店内に掛かる暖簾 は健在。
出前 急行
味 特急
値段 二等
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17:12
σ(^^ )が注文した「つばさ子ラーメン」。
ニラの卵とじがラーメンに載っている。 |
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